2009年7月7日火曜日

EVAを観て日本の物作りに思いを馳せてみた

 「EVAを観た」と言っても、金曜ロードショーで放映された新劇場版・序ですが。いやぁー、それにしてもスゴいね。まさしく、日本を代表するアニメーション作品の一つだと言えましょう。こりゃ亜、もう、「破」を見に行くしかないね。

 ところで、この作品を見て日本人の物作りについて考えてみました。

 EVAの魅力は、芸術的なまでに完成度を高めた映像美と、過剰なまでに作り込まれた世界観、とでもいいましょうか。どこを切っても、制作者の執念が伝わってくるような密度の濃さは、まさに日本が誇るアニメ産業の象徴とも言えましょう。まさに、「匠」のなせる技です。

 この「匠」システムって、日本の物作りの特徴のような気がします。個人的な技能は凄く高いのだけれども、それを組織として活用することにあまり得意でない、みたいな。よく、日本人は戦闘には長けているが、戦術、戦略のレベルになると全く使い物にならない、という話がありますよね。日本の誇る技術集団のSONYは、独創的で高付加価値の商品をいくつも世に送り出してきましたが、現在は世界的に低迷を続けています。かのトヨタですら、日本国内で展開するレクサスブランドは未だにブレイクしていない状態です。すごく良い物を作るのに、それを文化にまで昇華させる企業というのは、ここ最近ではニンテンドーくらいしか思いつきません(私が知らないだけかも)。

 米国の企業となるとこれが様子が異なるようで、昨日聞いたポッドキャストの話題では、米国は一度使えそうな技術が手にはいると、それを共通化して誰でも使えるようにするのが得意だとのこと。で、それらをマネージメントするのがエラいんだ、みたいな風土があるようです。日本だと徹底的に囲い込んで、自社の独自仕様にまで落とし込む、というやりかたが一般的だったみたいですね。私が度々取り上げるiPhoneでも、技術的には既存の物を寄せ集めたものですが、それをプロデュースするやりかたが上手だったんでしょうね。日本のケータイは技術的にはすごいんですけど、それ以上に広がる「世界」がありません。

 ちなみに、そのポッドキャストでも言っていましたが、こうした「匠」しすてむは、日本の他にもドイツやイタリアにもあるそうです。なるほど、かつて日本はドイツから政治のシステムや物作りを学んできた経緯がありましたが、こういったところにも共通点があったんですね。しかも、これら3国は先の世界大戦の同盟国同士。偶然とは思えません。

 しかも、ですよ。今日本では「イタリア化」していると指摘する向きもあるみたいで、これはどういうことかと言うと、つまり、政治的にダメダメになってきているよね、という事なんですって。イタリアは、ヨーロッパの中でも政治的に落第生と言われ続けておりまして、それというのも、政治の権力にいる人達が、揃いも揃って「ファミリー」なんだそうです。つまり、いろいろと結びつきの強い人達、ってことね。なので、自分たちに都合の悪いことはことごとく排除してきたんだそうです。どこかの島国と良く似ておりますなー。

 話は変わりますが、「ポニョ」を観たときにも、日本独特の価値観のような物を感じました。宮崎氏の発想は突き抜けている。しかし、彼がいなくなってしまったらスタジオジブリは立ちゆかなくなるのではないか。彼の作品は、「戦闘」だけで一大ブランドを作り上げてしまった、極めて希な例の一つなんじゃないでしょうか。

Nobu